東洋医学を学び頂点を目指して行くと、一般人的意識との間には大きな隔たりが生じていくことを実感する。

東洋医学の頂点を最高峰の山に例えると、何も知らない人は平野だと云える。

最高峰の山の周りには幾つもの低い山がある。

東洋医学家の中には、横の低い山の頂を最高峰と間違え東洋医学を制覇したと思い込む者も多い。

これは問題ありとするべきであるかも知れないが、病人にもいろいろあり、雲に隠れて見えない最高峰の山よりも、目に見える低い山を頂と見たがる者が多いのである。

低い山を最高峰と見る医家と患者、この二者お互いの価値観が合うので問題は生じないのである。

しかし、患者も病状が悪化し天に召されそうになると、高い山の存在に気が付き、雲の上も見えるようになり最高峰を選択することができる場合がある。

実際、死が近い者は低い治療を受けると早期にあの世に行く羽目になることは多いし、元気な者は高い治療を受けても分からない場合が多い。
気が多い者程上が見えず平野を好み、気が少ない者程上が見えて高きを好む。

死が近い者は気が少なくなるが為に、欲が無くなり意識が上がり、あの世に近付く。

元気なまま最高峰の頂を見るには行を積み悟ることである。

死を間近に見る者は顔付きが穏やかになるという。
これは望む望まないに拘わらず悟るのである。

現世に未練が強い場合は、悟ることなくあの世に行くのである。

多分あの世の手前でさ迷う羽目になるのだろう。

いずれにしても治療家に種類があり、患者に種類がある。

合う者同士が納得できるのである。